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子どもたちの幸せな学びと成長 暮らしを創る街結合型学校に向けて

『今、ソウル教育』2021年夏季号は、学校と街の中で生徒たちが幸せに学び、かつ成長できるするよう学校と街が協力する教育活動である「街結合型学校」についての特集を組んだ。学校と街をつなぐ連携教育は、毎日学校に通えないコロナ禍の状況で特に効果的な教育のあり方として注目されている。革新教育の実践を考える街教育コミュニティー専門家であり、韓国外国語大学校師範大学教授でもある金ヨンリョン氏は、街結合型学校の可能性をどう捉えているのだろうか。 学校と街の共生、「街結合型学校」 学校と街の共生、「街結合型学校」 韓国各地で街教育コミュニティーをめぐる議論と実践が進んでいる。地域社会の生態的な環境と条件を土台に、子どもたちを民主的かつ生態的な市民に育てるための取り組みが成果を出しているのである。地域の生態(暮らしのあり方)と相まってシナジー効果を出そうとする取り組みは単に教育分野のみならず、すでに幅広い領域で行われている。 例えば、地域の好循環リサイクルを再生するために、都市再生や社会的経済、そして生活SOC(Social Overhead Capital)などの様々なアプローチが行われている。ソウル市は、このような街教育コミュニティーを実現したいとの理念のもと、街結合型学校を本格化している。「すべての子どものための学校自治」を究極の目標に掲げ、学校の教育能力と街の教育能力を結びつけることでシナジー効果を出そうとしている。暮らしと学びを一致させる教育を行うためには、街と学校が連携し協力する必要がある。学校と街は本来一つだった。よい街には必ずよい学校があり、廃れた街には例外なく質の低い学校がある。言い換えれば、街をよくするためにはよい学校が必要であり、よい学校を作るためには必ずよい街を作らなければならない。これまで「教育革新」や「学校の立て直し」などが困難だった理由は、学校さえ改革すれば教育は変えられるという狭い考え方に軸を置いていたからだ。 最終的に街が変わってこそ教育は変わり、学校が立ち直ってこそよい街になる。こうした観点から学校と街は、社会的資本(social capital)によりつながっている構造だと捉えることができる。 学校と地域社会が密に連携しているネットワークを形成することで、学校に対する街の信頼が深まる。そして信頼が深まってこそ、街結合型学校は初めて持続可能な意味をもって発展できると思う。 学びと暮らしが共存する教育を目指して 学びと暮らしが共存する教育を目指して 今までの公教育は学校教育を指していた。学校の外側で青少年たちが何かを学んだり経験したりすることは、公教育ではなく私教育に当たるため、公的領域の関心と支援の範囲に入らなかった。子どもたちの成長と学びが学校に偏っているせいで、学校には必要以上の負荷がかかり、学びと暮らしがかけ離れる現象が慢性化した。 学校の道徳テストで満点を取ったからといって、その生徒のモラル意識に問題がないとは言えないように、学びと暮らしが何の関係も持っていないのが現状である。韓国社会が強調している民主的な市民教育・創造的な体験・進路教育などが、学校という空間で教科書という媒体を通じて詰め込み式で行われては未来の教育に希望はない。 子どもたちの成長と学びは、学校という垣根の中だけで行われるものではない。街教育コミュニティーを通じて子どもたちが学校の垣根を越えて学ぶ姿を見て、多くの人々は未来の教育を思い描いた。実際の暮らしの中で学び実践することで幸せになる教育。これこそ、まさに教育の本質ではなかろうか。 今や校内の教育と同じぐらい校外の教育も重要な時代だ。そのため、校外の教育は公教育化が進んでおり、そのスピードも今後さらに加速化するに違いない。学校と街が向き合い、ともに教育について考え実践することが未来の教育への備えになると思う。ソウル市が2015年から始めたソウル型革新教育地区事業のパートナーは地方自治体である。 事業期間が7年に上り、今や自治体は教育の立派な主体となった。地域社会の住民も街教育コミュニティーを通じて教育に参加するようになり、「街へ行く学校、学校へ来る街」が目に見える成果を出している。 今では自治体だけではなく、地元住民も教育の主体になっている。そのため、学校と地域社会とのつながりはさらに重要性を増している。 尊重と協力の教育的専門性・街の専門性 尊重と協力の教育的専門性・街の専門性 街結合型学校で運営しているカリキュラムは、学びと暮らしをつなげる「実践的教育」と、暮らしの中で材料を見つける「現状基盤型教育」、そして地域社会と連携する「コミュニケーションする教育」を掲げている。 平たく言えば、このカリキュラムは「街の生態(暮らしのあり方)という文脈の中で連携と融合を通じて学ぶ」ことである。ここ数十年間にわたって支配的だった教育パラダイムは、いわば「産業時代の教育観」だ。大量生産と大量消費の時代では「効果」と「効率」が強調され、よって「分業化」と「専門化」が定着した。 そして、このような価値と原理は教育分野にもそのまま取り入れられた。人生に必要なのは問題を解決する総合的な能力であるにもかかわらず、学校では教科ごとに区分された知識を教えるだけだった。 大勢の生徒を学級と学年で区分したせいで相互作用は阻まれ、また専門性を口実に学校と街は切り離された。 その結果、学びと暮らしの間に境界線が引かれた。今後のネットワーク時代に備えて学校がプラットフォームになるべきだという話は、これまで分断されていたものをつなぎ直し融合することで、学習者が自主的かつ実践的に学ぶ機会を広げることを意味する。つまり、知識の伝達よりは教科と教科の統合により能力を培う機会を与えることを優先し、また学級と学年の壁を低くすることで子ども同士の活発な相互作用を図る。最後に学校と街が連携して有機的かつ生態的に成長できるようにするのである。それは究極的に暮らしと学びを一致させることにほかならない。こうした街結合型カリキュラムの企画・運営には街の協力が必要となる。学校には「教育的専門性」が、街には「街ならではの専門性」がある。これからは個々の専門性を尊重しつつ、お互いの弱みを補い合う努力が求められる。 生態的なカリキュラムを作るには街の専門性を伸ばそうとする学校の努力が必要だ。同時に、街は教育的専門性を高めるよう取り組まなければならない。 街を知ることは、すなわち成長すること。 街を知ることは、すなわち成長すること。 大学受験システムに左右される韓国の教育現場から見れば、街教育コミュニティーはいたって理想的な掛け声に過ぎないかもしれない。未来の教育をめぐる議論と教育革新の実践がすべて大学受験という溶鉱炉に溶け込むのが現在の教育現場だ。この状況の中で、街を通じて学んだり、街について習ったり、街のために実践したりすることに果たして何の意味があるだろうか。一部の保護者と教諭は、街教育が時間の無駄であるとの疑念をぬぐい切れないかもしれない。街教育による先進的な事例はほとんど感動的だ。子どもたちが寄り添い合って物事を感じ、経験して学ぶ姿を見て、たいていの大人は「完全な成長とはこういうことか」と思う。しかし、それは長くは続かない。すぐ受験教育に没頭し、熾烈な競争に勝ち抜くことばかり考えてしまう。だから大人は街教育を「確かにいい取り組みだけれど、非現実的だ」と考えてしまうと思う。大人の目に映る子どもたちの人生は「勉強」か「遊び」しかない。教科書を勉強すること以外はすべて遊びだと思ってるだろう。だから成長という言葉は一向に通じない。 厳密に言えば、受験競争はいわゆる一流大学に入るための上位1割同士の戦争である。残りの9割の子どもたちは否が応にもその戦争に参加せざるを得ない構造なのだ。それなのに街について知ることが一体何の役に立つというのだ。 この問いには2つの反論ができる。まず、激しい競争を勝ち抜いて一流大学に入るための勉強は、順位付けという関門をクリアしなければならないがゆえに、問題演習と暗記の繰り返しに頼らざるを得ない。そして、このやり方に重点を置いている教育は完全な成長のための教育とは言えないのだ。 既成世代と呼ばれる大人たちは、社会の雰囲気に従うしかないという防御的な理屈を捨て、未来の教育を案じて競争中心の教育をいつまで続けるのかについて深い反省と熟慮を重ねる必要がある。 加えて、街について学ぶということはその街の人口や産業構造、地名の由来などを単純に覚えるのではなく、街の生態、すわなち暮らしのあり方を経験することを意味する。子どもたちは自分が住んでいる街で世界を経験する。街には社会的経済があり、住民同士の思いやりがあり、多様な考え方と認識があり、個人の歴史があり、彼ら固有の言葉と文化が存在する。街教育の事例からも分かるように、子どもたちは街について、そして街のために学んで実践していくことで、自己を知り、自分の将来を設計し、創り上げる。まさに能力中心の成長が実現するのである。これを非現実的だとする論理は自己否定の表れではないだろうか。時間がもったいないといって、本当の教育をなおざりにするわけにはいかない。 文 | 金ヨンリョン (韓国外国語大学校師範大学教授) 街教育コミュニティーフォーラムの政策委員長を務め、革新教育の実践と持続可能な街教育コミュニティー作りを目指している。主な著書として『街教育コミュニティーの生態的意味と実践(サルリムト出版社)』や『ソウルの街教育(共著、サルリムト出版社)』などがある。

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00상단-서울시교육청웹진-마을결합형학교

孩子们的幸福学习与成长 打造体验生活的社区结合型学校

2021年《当今首尔教育》夏季号推出了社区与学校携手的教育活动社区结合型学校企划特辑,旨在学校与社区实现学生的幸福学习与成长。连接学校与地区的社区结合型教育是一种新兴教育形态,在当前因新冠肺炎疫情上学受限的情况下效果尤其明显。致力于思考创新教育实践的社区教育共同体专家——韩国外国语大学师范学院的金勇连 教授是如何看待社区结合型学校的可能性的呢? 学校与社区的共赢,社区结合型学校 学校与社区的共赢,社区结合型学校 全韩国范围内关于社区教育共同体的讨论与实践愈演愈烈。这意味着利用社区的生态环境与条件,让孩子们成长为民主、生态市民的努力正在结出成果。不仅在教育界,多个领域内都在努力尝试结合地区生态(生活面貌)发挥协同效果(synergy)。例如,城市再生或社会经济、生活SOC(Social Overhead Capital)等都是重塑地区良性循环结构的方法。为实践这种社区教育共同体,首尔教育正在全面推进社区结合型学校,旨在以“覆盖所有孩子的学校自治”为目标,将学校的教育力量与地区的教育力量结合,进而发挥协同效果。为实现“在生活中学习,在学习中生活”这个目标,地区与学校必须紧密联合。学校与地区本为一体。优秀的地区一定有优秀的学校,而落后的地区只能有落后的学校。换言之,要想改善地区,需要有优秀的学校;要想打造优秀的学校,就一定要改善地区。过去“教育创新”或“整顿学校”之所以困难,是因为我们局限于只想通过学校改革来改变教育。而归根结底,只有地区改变,教育才会改变,只有学校优秀,地区才会改善。所以,学校与地区可以视为由社会资本(social capital)连接的结构。在学校与地区社会紧密连接的社会网络基础上,只有地区对学校的信赖加强,社区结合型学校才能获得可持续的意义与发展。 在生活中学习,在学习中生活的教育 在生活中学习,在学习中生活的教育 迄今为止,公共教育通常意味着学校教育。因为青少年在校外进行的学习及体验被认为是私人教育、而非公共教育,所以不在公共领域的支援范畴内。孩子们的成长与学习都依靠学校来完成,难免会加重学校的负担,进而导致了学习脱离生活。比如,某个学生在学校的思想品德考试中考了满分,但无法因此肯定地说他是个思想品德很好的孩子,学习与生活没有关联是当下的现实。如果我们社会强调的民主市民教育、创意体验、职业生涯教育等只能在学校范围里仅通过教科书死记硬背的话,那未来教育的前景将黯淡无光。 孩子的成长与学习并非只能在学校这个围城里完成。通过社区教育共同体孩子们走出学校这个围城获得知识的过程中,很多人在思考未来教育。在生活的脉络中学习和实践并获得幸福的教育,这不正是教育的本质吗?现在,校外教育与学校教育同等重要的时代已经到来,这将进一步促进校外教育的公共教育化。学校与社区共同思考并实践教育,就是在为未来教育做准备。首尔教育自2015年开始推进的首尔型创新教育区项目的合作伙伴是地方自治团体。项目持续7年,地方自治团体俨然已经成为教育主体。随着地区社会居民也通过社区教育共同体参与教育,“走进社区的学校,来到学校的社区”已初现雏形。随着地方自治团体和地区居民成为教育主体,学校与地区社会的连接也变得愈加重要。 尊重与合作的教育专业性•社区专业性 尊重与合作的教育专业性•社区专业性 社区结合型学校开设的教育课程标榜学习与生活并行的实践教育,在生活中寻找素材的现象基础型教育,以及与地区社会沟通的教育。用一句话来总结就是,“在社区的生态(生活面貌)脉络中通过连接与融合达到学习目的的教育课程”。过去主宰几十年的教育模式是所谓的“工业时代的教育观”。在大量生产与大量消费的时代强调的是效果性与效率性,为此分工化与专业化是常态。而且,这样的价值与原理同样也反映在教育界。生活中需要的是解决问题的整体能力,但学校教授的却是分而化之的各科目知识。将大量学生按班级和年级区分后,无法充分发挥相互作用,受专业性限制,学校与地区是分离的。其结果是学习与生活隔离。随着网络时代的到来,学校作为一个平台,需将过去分离隔开的东西连接并融合,扩大学习者主导实践型教育的机会。换言之,比起传递知识,通过整合教学科目提供培养能力的机会,并降低班级与年级的划分条件,促进孩子之间的相互作用,学校与地区沟通,实现脉络清晰的生态型成长。最终达到在学习中生活、在生活中学习的目的。企划并管理这种社区结合型教育课程需要与地区合作。学校具有教育专业性,地区具有社区专业性。如今需要的是尊重彼此的专业性并弥补彼此的不足。只有学校努力扩大地区的社区专业性,地区不断积累教育专业性,才能打造生态社区教育课程。 了解社区,就是成长的过程 了解社区,就是成长的过程 在实施高考体制的韩国教育现实中,社区教育共同体可能只是极其理想的口号。在将所有未来教育的论述与教育创新的实践都与大学挂钩的教育环境中,通过社区学习,学习社区相关知识,为了社区而实践究竟有什么意义呢?部分家长与教师可能会认为社区教育只是浪费时间。而关于社区教育的大部分先进案例令人感动。看着孩子们通过磨合、感受、体验创造学习成果,大部分大人都会感叹“原来这就是全面成长啊”。不过,这种感叹也只是短暂的。最终还是会回到竞争激烈的应试教育中。大人通常会觉得“社区教育固然好,但不现实”。 在大人的眼中,孩子的生活除了学习就是玩。除了学习课程之外只剩下玩。不会考虑成长的问题。严格地讲,考大学是前10%学生进入所谓名校的战场。剩下90%的孩子不管是否愿意,都无法参与到这个战场中。在这种情况下,就会认为学习社区相关知识有什么意义呢?对此,我有反驳两点。首先,想要通过激烈的竞争进入名校必须通过区别(名次划分)这个关卡,所以只能依赖反复解题和熟记。而且,侧重于这种方式的教育不能视为全面成长。与其归咎于社会环境,随波逐流,更需要成年人反省和思考什么是未来教育,目前这种以竞争为主的教育要持续到几时。 其次,学习社区相关知识不是单纯地学习社区的人口、产业结构、地名由来等,而是体验地区的生态,即,体验生活。孩子们通过生活的地区体验世界。每个地区都有社会经济,有彼此的照顾,有思维与认识的差别,有个人的历史,有其特有的语言与文化。从社区教育案例中可以看出,孩子们学习社区相关知识并为了社区而实践的过程中,可以寻找自我,开拓自己的人生,并设计自己的未来。这才是实现以能力为中心的成长。这才是真正的教育,“不现实”的逻辑难道不是自我否定的表现吗?不能以浪费时间为由就不进行真正的教育。 文 | 金勇连 (韩国外国语大学师范学院教授) 曾连任社区教育共同体论坛政策委员长,致力于创新教育的实践,打造可持续发展的社区教育共同体。主要著作包括《社区教育共同体生态意义与实践》(居所)与《首尔的社区教育》(合著)(居所)等。

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